拝啓
中島健人様
春色の候、いかがお過ごしでしょうか。
30歳のお誕生日おめでとうございます。
突然ですが、最近の私は、「ずっと」について考えることが多いです。
永遠、という単語にはたくさんの表現がありますが、明日のことなんて、もっといえば1秒後に何が起こるかなんて誰にもわからなくて。
1秒後に誰かに刺されて死んでるかもしれないんだよ。
そう考えると怖いよね。
人間いずれ死ぬってわかってるけど、やっぱり死ぬのは怖いじゃん。
命が尽きることもだけど、社会的にって言えばいいのかな、その人の名声が死ぬこともあるって思ってて。
死を破滅と捉えるか、再生への第一歩と捉えるか。
私自身は、死ぬことがとても怖いです。
まだ見ぬ未知の終わりを迎えることが怖い。
一生2024年3月31日が来ないでほしいって思うぐらいには、怖いです。
終わりを迎えること自体もだけど、死んだ後も怖い。
健人は神様っていると思ってる?
私はいらっしゃると思ってて。
だから、神様がどんな評価をされて、決断をされて、それをどう表現されて、どうお導きになるか、それがわからなくて怖い。
神様って勝てないし、どうしようもできない存在じゃん。
抗えないし、ただ単に淡々と今までの自分自身を信じるしかない。
そもそも死ぬか生きるかを決めることすらも神様の気分次第なのかもしれない。
どのようなDNAの組み合わせで生まれて、どのように選択肢を選び続けて、どのように死ぬかすらも神様次第なのかな。
姿形もわからない、好き勝手で気分屋な神様に振り回されるのが人生なのかな。
自分の運命ですら神様に操られて、この時はこう選択するんだよって暗示をかけられてるんじゃないかとすら思ってしまう。
わかんないけど。
健人は、運命は自分で作るって言ってたけど、それって神様に反逆することにならない?
健人は、神様に歯向かうのは怖くないの?
これから健人がどんな道を歩いていくのか、健人自身にもわからないことだと思うし、私もなんとも言えないけど。
もしかしたらミリオンならぬビリオンヒットを出して、5大ドームも海外ツアーも大成功させて、アカデミー賞で主演男優賞を受賞してレッドカーペットを歩いているかもしれないし、はたまた下北沢の300人入るか入らないかぐらいのライブハウスで、まばらなお客さんを前にハリウッドへって夢を叫んでいるかもしれないし。
未来なんて、それこそ神様しかわかんないのかもしれないけど、
でもなんだかんだ健人のこと一昨日も好きだったし、昨日も好きだったし、今日も好きだし、明日も好きなんだろうし、たぶん明後日も、たぶんその次の日も健人のこと好きなんだろうなって思うよ。
お互いに、今日も好きだったを積み重ねていきたいなってほしちは思ってる。
もしかしたら、それが「ずっと」になっているのかもしれないから。
これは前から言ってることだけど、選択っていう点の連続を後から振り返った時に線として形になっていて、それを「ずっと」と表すのかなって。
これは私の持論でしかないけど。
健人が結婚しない限り、私は健人の後ろについていくつもりでいるから。
わがまま言ってごめんね。
いつか、いつになるかはわからないけど、健人の選んできた点を一緒に線としてなぞることのできる日も、隣にいることができたらいいな。
数えきれない程の思い出これからも共に描くのって、何回目かの決意表明だね。
1年に1度の特別なこの日を、何度でもいつまでも、一番近くでお祝いできますように。
健人、
今日もありがとう。
今日も愛してます。
敬具
ほしより
追伸
健人、バイクの免許いつ取るの?
ほしちさ、後ろに乗れるのずっと楽しみにしてるんだけど🥹