Flashback

離れていてもこの空に願い続けるのは虹が架かる瞬間を君と見たいから

ツキヨミ

おはこんばしち!ほしちです。

今日はまあそういうブログですねー。

 

どこから書いていくかってちょっと悩んでるんですけども。

 

去年の1月から約1年2ヶ月このアカウントをやってまいりまして、今に至るわけですが。

なんか結局ほしちの言ってた通りになっとるやん、としか言いようがなく。

こうした方がいいんじゃない?を選ばなかった結果、今窮地?に陥ってる感はあるよね。

とは言っても健人の決めたことだし、最初はなんで合理的に考えられないの?って怒ってたけど、今はもうなるようになれ、としか思わなくなったな。

結婚しなきゃそれでいいよ、が強がりじゃなくて本気になってる。

まじいいのか悪いのかって感じだけどね。

 

健人は、いろんな人との関わり合いの中で生きているわけだけど、その中には健人のことを本気で愛してる人だって、愛してるフリをしてる人だって、そもそも愛してない人だっているじゃん。

健人てさ、こういうの見抜けないタイプなんだなって散々思わされたよ。

 

健人は自分の理想が強い人だし、別にそれは否定されることではないよ。

でも、それは健人の考え、健人の愛し方であって、別の人、例えば私には私なりの愛し方があるのね。

自分の理想だけが正しくて、自分のしてほしい愛し方以外の愛は受け取らない、受け取れないっていうのは、なんか寂しいよね。

それで愛してくれなかったって言われてもだし。

健人はすごい寂しがりやなんだなって思ってて、そういうところがすごくかわいいなって思うけど、健人が寂しいなって思ったように私も寂しいなっていっぱい思ったよ。

健人のやってほしい愛し方をしてくれる人が健人のことを本気で愛してるって、健人はそう考えてるかもしれないし、それもそれで理屈はわかるよ。

でも健人のことをわかってるのは結局健人だけでしかなくて、健人以外のすべての人はこうしたら健人は嬉しいんじゃないかなって、そう考えて自分なりの愛し方を健人に対して示してるってことはわかってほしいかな。

差し出した愛を拒絶されるのって、そっかー。てなっちゃうから。

 

あとこれは別件だけど、わしちとかアンリーとか反転アンチとか、ほんとに健人の周りの女という女は全員健人を使って自分の承認欲求を満たしてるけど、両者いつになったらその浅ましさと愚かさに気づくのかな?

健人の希望が、絡まる有象無象の人の業で濁る希望になってしまって悲しい。

可哀想だなとは思うけど、その浅ましさと愚かさに気づけなかった健人は、別々に持ち寄った寂しさに愛なんてくだらない名前つけて誤魔化して、何になったの?

その答えを聞く気はないけど、寂しさは他人で埋めるものではなくて自分で向き合うものだと思うよ。

寂しいっていうのは、自分の中で生まれた感情だから、自分が1番大切にしてあげないと。

今の人が埋めてくれたとしても、その人がいなくなったら別の人を探してこなきゃじゃん。

それは同じことの繰り返しだからね。

 

あとさ、結局健人のやりたいことってなんなの?

健人、最近何しててもかっこよくないしギラギラしてないよ。

ROSSOの時とか、遡ると未満の時とか?

なんかうまく言えないけど、すごいギラギラしててかっこよかったし、私の好きな健人だったのに。

健人は仁ちゃんとか平野に脳焼かれてて、彼らみたいになりたいって思うんだろうけど、彼らは彼らで努力してるんだよ。

逆に言うと、そうやってやりたいことがはっきりしてるからこそ健人は彼らに憧れるんだろうな。

やりたいことがないと努力できないから。

健人は平野にも仁ちゃんにもなれないけど、健人には健人にしかない価値があるのに。

 

なんかさ、もうほしちいろいろありすぎて疲れちゃったよ。

疲れちゃったけど、でもドームオーラスのアンコの時に確定くれて、その時の健人の目は一生忘れられないんだろうなって、その目を思い出すたびにこういう人なんだよねって思うから、結局諦められないんだよね。

あんなに距離あったのに、ぱっと目が合うだけでこんな気持ちって伝わるんだなって思った。

すごい必死な顔しててまじで申し訳ないなって思ったけど、それはファンサもらえない時に暴れてたからだよね。

その節は大変申し訳ありませんでした。わら

私はどういう目で健人のこと見てたのかな。

ちょっと気になるね。

 

もう一度健人のあの目で私を見つけて、そしてあの目で見つめてほしいって言ったら、それはもう叶わないのかな。

 

ろくでもない健人も、抜け出せない運命も、私は止める気はないし、誰にも止められないよ。

今となってはもつれた嘘も、絡まる有象無象の人の業で濁る希望もあるけど、それで健人の未来を消させないし、消せないし、消さないでね。

 

健人は、せめて今君はこの嘘を見抜いてって思ってるかもしれないけど、その君は意外とそばにいたんじゃないかな。

でも、彼らはもう健人の人生とは関係なくなっちゃうからね。

願わくば、私がその君になれますように。

私だけは、どうか気づけますように。

 

ほし

Eternal

 
拝啓
中島健人
 

春色の候、いかがお過ごしでしょうか。

30歳のお誕生日おめでとうございます。

 

突然ですが、最近の私は、「ずっと」について考えることが多いです。

永遠、という単語にはたくさんの表現がありますが、明日のことなんて、もっといえば1秒後に何が起こるかなんて誰にもわからなくて。

1秒後に誰かに刺されて死んでるかもしれないんだよ。

そう考えると怖いよね。

 

人間いずれ死ぬってわかってるけど、やっぱり死ぬのは怖いじゃん。

命が尽きることもだけど、社会的にって言えばいいのかな、その人の名声が死ぬこともあるって思ってて。

 

死を破滅と捉えるか、再生への第一歩と捉えるか。

 

私自身は、死ぬことがとても怖いです。

まだ見ぬ未知の終わりを迎えることが怖い。

一生2024年3月31日が来ないでほしいって思うぐらいには、怖いです。

終わりを迎えること自体もだけど、死んだ後も怖い。

 

健人は神様っていると思ってる?

私はいらっしゃると思ってて。

だから、神様がどんな評価をされて、決断をされて、それをどう表現されて、どうお導きになるか、それがわからなくて怖い。

神様って勝てないし、どうしようもできない存在じゃん。

抗えないし、ただ単に淡々と今までの自分自身を信じるしかない。

そもそも死ぬか生きるかを決めることすらも神様の気分次第なのかもしれない。

どのようなDNAの組み合わせで生まれて、どのように選択肢を選び続けて、どのように死ぬかすらも神様次第なのかな。

姿形もわからない、好き勝手で気分屋な神様に振り回されるのが人生なのかな。

自分の運命ですら神様に操られて、この時はこう選択するんだよって暗示をかけられてるんじゃないかとすら思ってしまう。

わかんないけど。

 

健人は、運命は自分で作るって言ってたけど、それって神様に反逆することにならない?

健人は、神様に歯向かうのは怖くないの?

 

これから健人がどんな道を歩いていくのか、健人自身にもわからないことだと思うし、私もなんとも言えないけど。

もしかしたらミリオンならぬビリオンヒットを出して、5大ドームも海外ツアーも大成功させて、アカデミー賞で主演男優賞を受賞してレッドカーペットを歩いているかもしれないし、はたまた下北沢の300人入るか入らないかぐらいのライブハウスで、まばらなお客さんを前にハリウッドへって夢を叫んでいるかもしれないし。

 

未来なんて、それこそ神様しかわかんないのかもしれないけど、

でもなんだかんだ健人のこと一昨日も好きだったし、昨日も好きだったし、今日も好きだし、明日も好きなんだろうし、たぶん明後日も、たぶんその次の日も健人のこと好きなんだろうなって思うよ。

お互いに、今日も好きだったを積み重ねていきたいなってほしちは思ってる。

もしかしたら、それが「ずっと」になっているのかもしれないから。

 

これは前から言ってることだけど、選択っていう点の連続を後から振り返った時に線として形になっていて、それを「ずっと」と表すのかなって。

これは私の持論でしかないけど。

 

健人が結婚しない限り、私は健人の後ろについていくつもりでいるから。

わがまま言ってごめんね。

いつか、いつになるかはわからないけど、健人の選んできた点を一緒に線としてなぞることのできる日も、隣にいることができたらいいな。

 

数えきれない程の思い出これからも共に描くのって、何回目かの決意表明だね。

1年に1度の特別なこの日を、何度でもいつまでも、一番近くでお祝いできますように。

 

健人、

今日もありがとう。

今日も愛してます。

 

敬具

ほしより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

健人、バイクの免許いつ取るの?

ほしちさ、後ろに乗れるのずっと楽しみにしてるんだけど🥹

milk tea

おはこんばしち!ほしちです

今日は、私の決意表明ではないですけど、私の夢についてお話したいと思っています。

 

いきなりですが、みなさんの「好きな人」の定義は何ですか?

好きな人、と急に聞かれてもあれだと思うんですが。

私の中で、「好きな人」とは、つまり老若男女、関係性を問わず「この人のために」と思える人のことです。

 

私は、健人の1番好きな人になりたいです。

 

人を好きになるということ、人を愛するということ。

シンプルなようで奥深くて、でも実際にはすごく簡単なことだと思うんです。

 

恋は、期待と可能性のことだと思っています。

愛は、限りなく無償の自己犠牲だと思っています。

 

私が好きな人のことを考える時、この人と何かをしたいとかこの人にこうしてほしいではなく、この人は何をして欲しいんだろうとか、この人はどうすればもっと良くなるのだろうとか、そういう風に考えます。

この人のためになりたい、そういう一心から様々なことを考えてしまいます。

 

私は、弱い人間です。

自分のことが大嫌いです。

自分の顔やスタイルも嫌いだけど、頭悪いし、物事はっきり言えないし、別の誰かになんとかしてこれやってって言うし、自制できないし、だらけてるし、いつもギリギリで生きてるし、かっこつけだし、自分の悪いところも認められないし、誰かを悪くすればいいと思ってるし、努力できないし、計画性ないし、その場しのぎでなんとか生きてるし、ルーズだし、掃除嫌いだし、他人のためにってなれないし、優しくないし、とにかく嫌いなところばっかりあります。

でも私人間なので、変われると思うんです。

 

上田くんは、22年間KAT-TUNのメンバーとしていることを、アイドルであることを選び続けてくれました。

その中で、上田くんが、弱くて大嫌いな自分自身と戦う姿、「最強」を目指して戦う姿を見せてくれていました。

上田くんは、変わらず変わり続けていました。

その上田くんの変化がよかったのか悪かったのか、それは誰にもわかりません。

変わらなかった方がいい部分もあるのかもしれません。

ただ、今の上田竜也という人間、アイドルがこんなにも多くの人々に愛されていること。

それが、すべてなのではないかと思います。

 

上田くんは、「アイドル」を「疑似恋愛の相手」だと定義していました。

私は、「アイドル」を「ひとたびマイクを持たせれば見る人すべてを魅了する存在」と定義しています。

では、あなたの「アイドル」とは、なにをもってして「アイドル」と定義されるのでしょうか?

 

もしかしたら、「ほしち」は既にアイドルなのかもしれません。

それは、ほしち担の皆さんにとっても、そして健人にとっても。

 

ならば、私はその役目をまっとうするまでです。

私自身の飾らない、弱くて大嫌いな私自身と戦う過程を見てください。

変わっていく私を見てください。

私だけを見ていてください。

私を、「ほしち」を、好きになってください。

時には間違います。

でも、時にはあなたを笑顔にします。

 

健人は、自分自身が作り上げた「中島健人」を壊したいのだと思います。

健人もまた、私や上田くんと同じように、自分のこと、「中島健人」のことが嫌いなのかもしれません。

誰よりも強い健人以外は認めないです。

でも、誰よりも弱い健人でいていいんです。

私は、ほしちは、健人のことも、健人が嫌いな健人自身も、健人が嫌いな「中島健人」も、もちろん健人が好きな健人のことも、全部全部抱きしめるので。

 

健人は、ファンが健人のことを完璧で究極のアイドルにしてくれると言っていましたね。

でも、私は完璧で究極のアイドルなんていないと思うし、完璧で究極でなくてもいいと思うんです。

アイドル、という肩書きは、特定の何かのスキルや役を指したものではありません。

その人自身の生き方を表す、そういう肩書きだと思います。

生き方に完璧も究極もありません。

でも、最強で無敵を目指して戦うことはできます。

 

健人は、私だけを見てればいいんです。

雑音に耳を傾けないでください。

他の人なんて見ないでください。

私に恋をしてください。

私を愛してください。

私が、ほしちが、アイドルを諦めない健人のアイドルになります。

誰を信じていいのかわからなくなっても健人が信じることのできる、そのような存在になります。

 

私は、健人のことを愛しています。

もし健人が望むのなら、疑似恋愛の相手になるし、言葉と行動を持ってして健人を魅了するし、健人の思う理想のアイドルになります。

健人が好きなほしちで在りたいから、私の好きな健人で在り続けてください。

健人のすべてをほしちにください。

誰かが、そして世界が、健人と私を素敵だと思うように、

そしてその暁に、1番好きな場所でキスをしましょう。

 

これは、健人の望む在り方ではないのかもしれません。

はっきり言って、私の自己満足です。

でも、私はもう後悔したくないんです。

 

私のファンとしての憧れは、この人といえばこの人だよね、と言われるファンでした。

みなさんも、グループ問わず何人か思い当たる方がいると思います。

昔でいうトップオタ、という存在でしょうか。

その人とその自担は、それぞれの関係性があって、どんな関係性も素敵だなと思って見ていました。

ならば私も、健人と私なりの関係性を築きたいと、そう思ってしまいました。

 

健人、私と健人で、世界が、誰もが僕らを素敵だと思うような、そんな最高で最強の2人になりませんか?

この関係性の行き着く先がどこになるのか、天国なのか地獄なのかはたまた時空の狭間なのか、それは私にもわかりません。

ただ、私は健人と幸せになりたい。

健人の1番好きな人になりたい。

それだけです。

 

私を、「ほしち」として最強で無敵のアイドルにしてください。

私は、健人のことを1番側で笑顔に、幸せにします。

2人で寄り添って歩んでいきませんか?

健人とほしちと、世界で1番お似合いで幸せで最高で最強の2人になりたいです。私は。

 

やっぱり、私は、健人に好きになってほしいし、愛されたいです。

やっぱり、私は、健人の1番好きな人になりたいです。

やっぱり、私は、健人のことを世界で1番愛しています。

 

とりあえずは、健人が私にずぶずぶに惚れるところからですねー。

見ててね健人!

私の、ほしちの全部で健人のこと惚れさせるからね!

惚れすぎ注意!まじで!

 

まーでもまずはさ、健人が頑張って私に健人のこと惚れ直させるとこからだよね。

ほしち今他にいいなって思ってる人、いるからさ🥹

カンタービレ

おはこんばしち!ほしちです。

今日は、私の憧れについてお話しさせてください。

 

私は、ずっとKAT-TUNと、KAT-TUN上田竜也さんが好きです。

 

私が上田くんと初めて出会ったのは、2010年9月ごろ、仁ちゃんが脱退して間もないときです。

嵐が好きな友達に貸してもらったポポロを読んでいた時、ふと目に入ってきた美貌に一目惚れしました。

 

それが、上田竜也さんでした。

 

今でもそのページのことは鮮明に覚えています。

上田担なら絶対一度は見たことがある、そういうレベルに有名なページです。

 

それから、たくさん上田くんと、そしてKAT-TUNのことを知ろうとしました。

ライブDVDを買い、シングルを買い、アルバムを買いました。

いわゆるアイドル誌も買いました。

テレビ欄をチェックして、KAT-TUNとか上田とか、そういう文字が見えれば録画して、何度も何度も繰り返し見ていました。

その中で、上田くんとKAT-TUNのことを知るたび、上田くんとKAT-TUNのことが大好きになりました。

 

私が初めて見たKAT-TUNのライブは、NO MORE PAIИ(以下NMP)でした。

DVD越しに見る彼らは、かっこよくて、眩しくて、でもどこか刹那的で、好きで好きで、仕方がありませんでした。

田舎で走り回っていた私にとって、それはとても衝撃的な瞬間でした。

 

そして惑星魂はじめ、過去のライブDVDを死ぬほど見ていました。

そのうち、なぜ彼らはこんなにもかっこよくて、輝いていて、でもどこか不安定なのだろうと思い始めました。

でも、なにもわかりませんでした。

私は、なにかを察して悟るには、あまりにも子どもすぎました。

 

2011年3月、東日本で大震災が起こりました。

KAT-TUNはデビュー5周年、予定されていた5大ドームもコンビナートコンも、すべて中止となりました。

2012年、CHAINがありました。

私はDVDでしか見ていませんが、KAT-TUNは、変わらず私の愛するKAT-TUNでした。

2013年、聖が解雇されました。

楔が発売されました。

4人のために、と思って買ったそのミニアルバムには、私の大好きな聖は、いませんでした。

 

私は、KAT-TUNと、上田くんと2014年を共に生きようと思うことができませんでした。

2015年も、私はKAT-TUNのそばにいることができませんでした。

2016年、じゅんのがやめました。

そして、迎えたデビュー10周年、KAT-TUNが時計を止めました。

2017年、聖が逮捕されました。

2018年、KAT-TUNは、自ら止めた時計を、また動かし始めました。

2019年、じゅんのが逮捕されました。

2020年、コロナ禍となりました。

2021年、15周年のアニバーサリーイヤーでした。

初めて紅白歌合戦に出場しました。

2022年、Honeyがありました。

2023年、Fantasiaがありました。

彼らの愛する事務所は、形を変えることとなりました。

そして迎えた今、2024年です。

 

この長い長い期間の間、KAT-TUNは変わらずKAT-TUNでした。

上田くんは、変わらずKAT-TUNでいるために、自分を変え続けました。

 

私は、ずっと上田竜也さんのことが好きです。

私は、それを恋だと思っていました。

でも、それは恋ではありませんでした。

上田くんの好きなところ、例えば、外見はもちろん、いつもファンのために他人のためにと考えてくれるところ、自主自立の精神、継続力、自らを律する力、自らの弱さと戦うところ、そして自分の夢を自分の力で叶えるところ。

これらは全部、私が自らの中で育て、自らの強みとしたいところでした。

 

今までのKAT-TUNの歴史の中で、上田くんは何度も姿形、内面ですらも変えてきました。

なぜなのだろう、上田くんは自分のことが嫌いなのかと、そう思うこともありました。

これはあくまで私の考えなのですが、上田くんは自分のことが嫌いなんだと思います。

受験ではなくKAT-TUNをとったあの日から、上田くんは自分のことが嫌いなのでしょう。

 

KAT-TUNは、ブランドです。

天才が6人集まって、その頭文字をとってできたKAT-TUNという名前と、それにふさわしい6人が作り出すブランドであり、ストーリーであり、プライドです。

演技も歌もダンスもラップも、それぞれ事務所の中でもトップクラスの実力を誇る人たちが集まっていました。

隣には、いつも努力を続けている人がいました。

そんな5人に囲まれた何もない彼はどんどん自分のことを嫌いになっていったのだと思います。

 

ジュニア時代から、上田くんはキャラクターだけでなく外見も変え続けました。

時にはファンに不評すぎて、ひとりだけうちわが売れ残るなんてこともありました。

嫌いな唇を、コンシーラーで消していたこともありました。

役のために坊主になったことも、ビジネスヤンキーのための明るい短髪もありました。

これらの変化は、すべて上田くんが自らの弱さと戦い、自らを律し続けた歴史なのだと、今では思います。

天才5人に囲まれ、自分には何もない、そう思っていたであろう彼の、弱くて大嫌いな自分との戦いの歴史です。

 

私は、上田くんのことがわからなかったですし、今でも彼のことはわかりません。

ただ、私が変わらず上田くんのことが好きだということ、そして上田くんがファンのためにと言い続けてくれること、この2つだけは、私が上田くんに出会ったあの日からずっと変わっていないことです。

 

2022年、Honeyが発売されました。

近年のKAT-TUNには珍しく、スタッフさんがプロデュースしたアルバムです。

15周年を迎えた彼らにとって、新しいチャレンジであったことは間違いないでしょう。

個人的にはとても好きなアルバムですし、とても好きなライブツアーでした。

初日、衝動のままにチケットを追加したのは、後にも先にもHoneyだけです。

 

そんなHoneyには、「カンタービレ」という上田くんのソロ曲が収録されています。

15周年から引き続き春ツアーとなったこのライブに合わせて、上田くんが作ってくれた応援歌です。

2006年3月22日、春を迎えようとする時期にデビューした彼らしい、春をテーマにした曲です。

 

私は、この曲をファンに向けて書いてくれたのかと思っていました。

これも事実としてあるのだと思います。

ですが、とある方がおっしゃっていた「これは昔の上田くんに向けて書いた曲でもある」という言葉にはっとしました。

たしかに、この曲は過去の上田竜也に向けて上田くんが書いた曲でもある。

私も、そう思うようになりました。

 

メンバーが辞めることは悪いことではありません。

でも、グループを続けようとすることも、悪いことではありません。

 

様々なことが起きた上田くんとKAT-TUNの22年間は、上田くんが、弱くて大嫌いな上田竜也自身と戦い続けた22年間なのだと思います。

そして、その戦いは今でも続いているし、終わりがないのだと、彼を見ていて感じます。

その道中で、カンタービレという曲を書いてくれたこと。

作詞のクレジットが「上田竜也」であること。

このカンタービレという曲は、泣いているように見えた焦る「君」に、上田くんが精一杯の気持ちを込めて贈った歌なのでしょう。

 

時は流れ、このブログは1月に公開する運びとなりました。

また春がきます。

でも、この春に花咲く必要はないと思うんです。

春はまた何度もくるから

この自然の摂理のもと、また私は上田くんの戦いを、メンバー、スタッフさんに次いで、3番目に見守ることにします。

 

時が変われど場所が変われど、上田竜也上田竜也だし、KAT-TUNKAT-TUNなんです。

 

大好きな私の神様たちと共にまた春を迎えられる幸せを胸に、KAT-TUNの皆様のご健闘をお祈りして、締めとさせていただきます。

 

長文・乱文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

ほし

ROSSO

みなさんこんにちはーほしちです。

 

今日はいろいろ考えに考え抜いた結果ドームですべてを覆されたROSSOについて、私なりの解釈をつらつら書いていこうかなと。

間違ってる可能性100%なのであえてブログで残そうと思います。長いし。

 

今回のブログは全部ドームを経ての解釈というところを意識していただきたいです。

 

というわけでまずは歌詞の解釈からです。


ひび割れたって愛されはしないね。

→ちょっと素?というか、 健人自身がオタク向けにチューニングせずに考えていることを発信したらオタクに受け入れてもらえなかった

 

指先が焦らしても溶けたりしない?

→アイドルでない自分を発することに戸惑いはあるから不自然になるかもだけど受け入れてくれる?


触れたくなって染めてみたくて残す僅かなDesire

→ちょっとはチューニング前の中島健人を出してみてもいいのかも、受け入れてくれるのかも


グラスは酩酊

→ちょっと酔って自分を解放してみた=アイドル中島健人をやめてみたってこと?(自分を解放するために酔った、かも)

 

間違った期待はしない

→「中島健人」を受け入れてもらえなかったから今後もそうなんだろう、もしくは期待してる自分に対する戒め


脆くて儚い唇のSiren

siren=救急車とかのあれ、ぴーぽーぴーぽー


戸惑いを隠せない

→オタク用のチューニング前、アイドルではない飾っていないを出してる自分に対して

 

この口づけは何回目?

→何回言えばいいの?

 

偽りの旋律でも溺れたいよ

→ちょっと仁ちゃん「ぽい」ことしてみた=自分の色も入ってる

 

教えてくれ真実の奥で濡れるROSSOを

→仁ちゃん、 ジュニアの頃の自分、 今の自分に向けて何がしたいか何をすべきなのか自分はどうなるべきなのか憧れを追っていいのか、 中島健人というアイドル像を作ろうとしてきたけどそれは自分のやりたいことではないのではないか、みたいな?今まで他人のためグループのために求められる中島健人をやってきたしそれが自分の一部ではあるんだけど、 周りも自分と同じもしくはそれ以上になった今、 自分も自分のやりたいこと自分の道自分の憧れ=仁ちゃんを追求してもいいのでは?

 

次に演出なんですけど、これほんとに最初見た時に直感でKAT-TUNの2009年のBreak the Records、通称・惑星魂でやった仁ちゃんのソロ曲のWonderじゃん、、、となりまして。

これ、前の曲が中丸くんのソロなんですけど、その中丸くんが玉座に座って羽根がぶわーっと降ってきて、そしたら仁ちゃんがいたって演出なんですね。

もう、もろそうじゃん、ていう。風磨ちゃんもメンカラ紫だし。

赤いアイテムって仁ちゃんのメンカラの赤で。

CONCEPT VIDEOが倉庫っぽいところなのもWonderの後ろの映像みあるし、VIDEO内にハットを被った女性ダンサーが出てくるところも、ダンサーさんが常に最大4人なのも、全部そうじゃんていう。

Wonderてクリスタルケイさんとの共作?で、ドームでケイさんの声が流れたんですけど、健人が生歌のところとそうじゃないところを使ってるのはそれなのかなとか。

 

今眠くて、アリツアの時とか覚えてないしドームも全部を覚えてるわけじゃないのであれなのでまた考えが思いついたら追記しますねー。

 

ここからは私個人の感想?思い?なんですけど、私めっちゃKAT-TUN好きで。5人時代からのオタクですけど、KAT-TUNて6人で始まったグループで、そこに赤西仁ってメンバーがいたことは紛れもない事実で、彼が天才でカリスマでみんなが憧れるヒーローで、健人もそんな彼に憧れた1人で。

今でこそようやく仁ちゃんの名前を出せるようになったけど、仁ちゃんの名前なんて出せないのが普通だった。

健人だって2010年7月以降ずっと仁ちゃんの名前を出してこなかったし、それ以来ずっと言葉とか表現とか変えていろんな人の名前出して、尊敬する先輩は定まらないままだった。

もちろん健人だって事務所の人間だから、やめた人間の名前なんて出せなくて当たり前で。

それが時を経て、健人がドームに立つようになって、初めてドームでやったソロ曲がROSSOであの演出でっていう。

初めて見た時はちょっと言葉にならないくらいの感動で胸いっぱいになりました。

 

東京ドームはKAT-TUNの庭だけど、そこで健人がこの演出をやるなんて、もう今からぶっ倒れる練習しておくしかなくてやばい。

とにかくみんな、東京ドーム入る前にどうにかして惑星魂のWonderみて。

 

健人解釈違ってたらごめんね訂正してね。

 

健人、ほしちに夢を見せてくれてありがとう。

ずっと好きでいてくれてありがとう。

私の好きを好きでいてくれてありがとう。

私の好きを次に繋げてくれてありがとう。

 

本当に健人には感謝しかないし、健人のこと好きでいられて幸せだし、この演出をすることってすごい勇気がいることだと思うけど、やってくれたことがすごい嬉しいしこれが健人のやり方だよねって。

 

まじ健人好きしかねーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先めっちゃ長くなる!

 

これは私が勝手に思ってるだけ、というのが前提の話です。

 

 

正直言うと、私がSexy Zoneの現場で青のペンライトをつけられるのはいつまでなのかなって、最近はずっとそう考えています。

健人がセクゾのメンバーとして活動を続けたいと望むことと、健人がセクゾのメンバーで居続けることができないということは両立するから。

このまま健人の望む仕事、つまり海外でのお仕事が続くようになれば、本当に音楽活動、CDのリリースとライブの時だけ日本に帰ってきてそれ以外は全部海外なんてこともありえます。

 

勝利や風磨が冠番組が欲しいと言ってそのためにできることをやってくれていること、聡ちゃんが配慮を受けつつも自分のできることをやってくれていること。

比べれば、健人のやっていることがグループのためになるのか、健人の仕事はSexy Zoneに還元されるのか、と問われれば、私は否定せざるを得ません。

健人の海外仕事は、間違いなく中島健人個人のためにしかならないから。

 

私は健人のことが好きだから、健人の夢が叶うこと健人のやりたいことができることは、もちろん嬉しいです。

でも同じくらいSexy Zoneというグループ、勝利、風磨、聡ちゃんが大切ということ、この3人と一緒にいる健人が好きということも、私の中に確かにある思いです。

 

これから先、マリウス葉のいないSexy Zoneという時間の方が長くなる中で、中島健人がいないSexy Zoneという未来はいつになるのか。

 

健人にやりたいことがあるのなら、それは他3人も同じです。

健人が望む望まないに関わらず、同じ目標に向かって進むことができないのなら、おのずとその時はやってくるのだろうなと、それは避けられない未来なのだろうなと思います。

健人のやることを無条件に受け入れてくれると考えるのは、それは私たちファンと健人の怠慢です。

 

仁ちゃんの時は、ジャニーさんが決めてくれました。

今度は、健人が自分で自らの進退を決め、自分で辞めると、そう他3人の前で口にすることになるのでしょう。

ファンに対しても、健人が自らそう伝えることになるでしょう。

 

少なくとも私は、勝利、風磨、聡ちゃんが、健人の選択を肯定しなくてもいいと思っています。

なぜ辞めるんだと殴っても、二度と顔を見せるなと怒鳴っても、それは当然のことです。

それはファンが健人に対して思っても伝えても同じです。

辞めるということは、道を違えるということは、そういうことです。

 

私たちファンは、決まったことを受け入れるしかできません。

あくまでお金を払って、商品を購入しているにすぎません。

その自覚を持って、線を引いて、好きだよと笑顔で伝えること。

こうあり続けることが、結果としてお互いのためになるのだと思います。

自戒ですが。

 

最後に私から3人へお願いがあります。

大変心苦しいとは思うのですが、もしこのような未来が訪れた場合は、健人のことを突き放していただけると幸いです。

ペンライトに青を入れる必要はないし、健人がいたことを美化する必要もありません。

それよりも、3人で進む未来をどう描くかというところにエネルギーを注いでいただければと思います。

 

最後にくれた その「ありがとう」が 明日へと繋がる希望に変わるから

 

残ることになるであろう3人がこう歌えることを願い、締めとさせていただきます。

長文・乱文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健人へ

 

初めて健人のことを知った日のことは、実は今となっては覚えていません。

ただ、顔がきれいな子だということ、ドラマに出ているということ、そのドラマに出ている健人が妙に印象に残ったこと、このことはなぜかはっきりと覚えています。

 

お互い時を経て大人になった今、私たちは、夢を叶える手段があることも、現実はあまり優しくないことも、自分のあるがままに生きることの難しさも、約束を守ることの難しさも、すべて知ったはずです。

 

私が「ずっと」を約束できないように、健人も「ずっと」を約束できないよね。

でも私たちは大人だから、「ずっと」と言葉にしてしまっている。

それがいいのか悪いのかはわからないけど、とりあえず今は「ずっと」を言わせてください。

そうすれば、いつか「ずっと」が叶っているはずだから。

 

大人の決めたやり方それが正解なのって健人は歌っているけど、結局それが1番楽で。

でも健人はドームで見せてくれたように、反抗期上等って感じで、私にはそれがすごい嬉しかった。

私が出会った時の健人にまた会えたようだった。

あの時見つけた男の子がこんなになるなんて思ってもみなかったし、こうなっていることに嫉妬してるし、これは紛れもない私の感情で。

逆に考えると、あの時健人のことを知ったから今こうやって健人の進む道を一緒に進もうと思えるんだよね。

 

どんな健人でも好きって言い続けるために、少しだけ時間をください。

強くなって、健人のことを守れるように、健人のことを支えられるようになるから。

世界がたとえ後ろ指差して健人を泣かせたとしてもずっとそばにいるから。

余計なお世話かもしれないし、健人はほしちのこと嫌いかもしれないけど。

 

数え切れない程の思い出これからも共に描くのって、最後にわがまま言ってごめんね。

 

なんだかんだいつも言ってることは一緒なんだけど、改めて言わせてください。

初めて健人のこと知った時からずっと、健人は私の王子様だし1番かっこいい人だよ。

私も1番可愛い健人のお姫様でいられるように頑張るから、いつか健人のバイクの後ろに乗せてね。

それまでの思い込めてぎゅーってしがみついてやるから🥹

 

 

健人、今日もありがとう。

 

ほしちより

Real Face

みなさまこんにちは、ほしでございます💫

暑い中横アリ大集合ということで、体調はいかがでしょうか?

参加される方もそうでない方も、体調優先で無理せずに、水分と塩分補給はお忘れなく❣️

 

そんな横アリ初日の721日、セクゾのドーム公演が発表されました。

素直におめでとう‼️

いやーセクゾってドーム出禁じゃなかったんだなぁ‼️

事務所って優しい‼️

 

ということで、今回のテーマはほし的ドーム論です。

 

突然ですが、みなさんドーム公演は好きですか?

私は大好きです。

 

ドーム公演ができるグループであるという誇り。

あの広さを埋めるド派手なセットと機構。

会場壊れるんじゃね?ってぐらい出まくる特効と水。

ドーム特有のお祭り感とある種の神聖さ。

私が生粋のKAT-TUN生まれKAT-TUN育ちのジャニオタということもありますが、やっぱりいつまで経ってもドームは特別な場所です。

そんな場所でSexy Zoneが公演をする。

 

めっちゃ嬉しくね

 

自担がドームに立つということはもちろんですが、あの4人をもう一度ドームで見られることが嬉しいし、楽しみです。

 

さらに嬉しいことに、去年はドーム発表の場にいることができました。

あの時の3人の表情や会場の空気感はいまだに鮮明に思い出せる、とても大切な思い出です。

 

ですが、実際の内容はまあ10年過ぎて初めてドームやるグループのドームってこうだよな、という内容でした。

端的に言うとクソ。

 

ここでドームとは?ってお話をさせていただくと、私は、ドーム公演とは「ハイブランドの展覧会」であり「神事」だと思っています。

 

順番は変わりますが、先にライブが「神事」であるということについてお話します。

 

ライブってそれ特有の空気があるじゃないですか。

その中でも、ドームの本編ラストの1曲には他のなににもない魔力があると思っています。

 

例えば、KAT-TUNBreak the Records」では、「NEIRO」が選ばれました。

これ2009年発売の同名アルバムの収録曲なんですけど、ちょっと歌詞を見てほしくて。

このライブは、風磨が擦りまくってる例の東京ドーム連続8日間なんですけど、そのラストにこの曲を選んでくれた。

東京ドームで「僕らのここで始まったSTORY*1、そう歌えるのはKAT-TUNだけなんですよね、KAT-TUNは東京ドームでデビュー魂だったので。

そこでかっこつけて言えなかったことがある、と伝えてくれるのってめっちゃ嬉しくないですか?

 

神事って神様と人間のやりとりですけど、神様と人間って普段は別々の場所にいて、違う目線で物事を見ている。

そんな両者が交わる場が神事の場だとすれば、ドームもそういう場面があるなと。

普段別々の場にいるメンバーとファンが、5万人も入る会場で気持ちのやりとりができるってすごく神聖なことだと感じています。

こう不思議な魔力があって、あんな広い会場なのにちゃんとお互いに思っていることが伝わるところ。

まさにこういう神かかっているところがあるなーと思って、ドーム公演には神事としての一面があるとお話しました。

 

次に、「ハイブランドの展覧会」という部分についてですが、私はいわゆるドームの派手なお祭り部分と定義したいです。

派手なセットと機構、出まくる水と炎、無駄に布が多い変な柄の衣装、セトリなどなどそのグループが自らの威信とプライドをかけて準備してきたもの、メンバーのパフォーマンス、それを見る観客たち。

 

ドーム公演では、入場ゲートがわかれるため、いわゆる天井席が安く出回ります。

すると、「ジャニオタ」はまあ暇だし行ってみっか😁ぐらいのノリで公演に参加します。

天井、つまり遠くの席から見る他グル担のジャニオタに対して、自分達というブランドを見せる。

 

ジャニーズ事務所は、芸能界トップ3に入る事務所です。

そこのデビュー組というハイブランドのライブをお安く見ることができる機会を逃すハイブラ好き=ジャニオタはいません。

そして、あそこのグループはああだったわーとか言って気軽に客観的かつ冷静な判断を下します。

展覧会ですもん、そりゃ見られるため判断されるため、すなわち新たな顧客を開拓するために開催されるわけで、それはドームも同じです。

 

ですが、そういうジャニオタたちは、一曲一曲のストーリー、バックグラウンドなどは知りません。

RUNNFにどんなに壮大なストーリーがあろうとも、レツミュの売上が悪かろうとも、そんなの知ったこっちゃありません。

彼らにわかることは、メンバーの顔と名前、メンバーがぬけたこと、派手なセットや特効に衣装ぐらいです。

そもそもジャニーズって全般的に数字関係なく「曲」がいいし。

そうなると、彼らの判断材料としてはメンバーのパフォーマンス(特に歌)、セトリ=曲の組み合わせ方、セット・特効・衣装ぐらいになってしまいます。

だから、ここがよくないとライブつまんなくね?ってなります。だって興味ないとそこしかみるとこないし。

 

ですが、これってアリーナや1階スタンドに入るファンにしてみれば最高のお祭り要素なんですよね。

曲を知ってるからこそわかる、ノれる部分ってやっぱりあるわけで。

 

だから、ここでは「ハイブランドの展覧会」=他グル担に評価される場としてのドームを、ドーム公演のお祭り部分と表現しました。

つまり、2面性があるってことですね。

ファンはバチ上がってるかもしんないけど、その上では他軍のオタクがファンのブチ上がりも含めて評価してるっていう。

 

このドームは採点の場であり気持ちのやりとりの場っていうことを考えると、去年のドームってどうでした?

 

私の思うドーム公演をする資格のあるグループって、少なくともセクゾではないんです。

 

例えばKAT-TUNって、まあメンバーの素行やグループの歴史はいろいろありますけど、ちゃんとライブ、特にドームでは150点出してくるし、ファンにちゃんと気持ちをまっすぐ伝えてくれるし。

パフォーマンスのクオリティの高さ、空間埋め力ももちろんですけど、あの発想力と圧倒的オーラは事務所随一だと思っています。

東京ドームは俺らの庭、なんてメンバーの誰かが言ってましたけど、その言葉に間違いはないなって思わせるぐらいのライブなんですよ。

 

とりあえず2008年のQUEEN OF PIRATES(風磨が擦りまくってるやつ)2015年のquarter(4人体制ラストライブ)は絶対1回は見てほしい。

これがドームかぁ!ってなると思うので。

あと今年のジュニアのドームが亀梨くん演出なので、行かれる方はぜひ楽しんできてください。

めっちゃKAT-TUNらしいので。

 

去年はKing & Princeも初ドームでしたね。

登場がムビステ観覧車、ジュニア時代の曲も織り交ぜつつアルバム曲カップリングも取りこぼさず、ダンス曲からのあいさつ挟んでKPQP

いや初ドームでこれって。

クオリティ高すぎ丸雄一でお前ら二度とアリーナすんなって思いました。

 

しかもちゃんと空間埋まってるんですよね。

パフォーマンスそのもののクオリティも高いですけど、パフォーマンスを届ける力がすごすぎる。

オーラとかトークとか演出の細かい部分とか、そういうところはまだまだだなってなる部分もあるんですけど、4年目であれだけできたら十分すぎなんですよ。

 

毎度恒例KAT-TUNとキンプリと比べましたが、これらを踏まえてのあのセクゾのドーム。

初日、正直頭抱えましたよね、これあと3回あるのかよって。

 

セトリ最悪以下のアリツア使い回し、機構セットしょぼい、ムビステなし、特効カス、生着替え、水でない、ピアノ演出、レーザー出力弱い、謎のファンサタイム。

 

は?やる気ある?

 

聡ちゃんの挨拶とインパしかよくなかったです、正直。

 

正直セクゾのドームって毎回半分ぐらいは同じ人入ってるし、じゃあ残りって誰が入ってるかって、在宅茶の間じゃなくてジャニオタなんですよね。

その人たちが見せるのがこれ?

 

ごめんだけどドームってEX Theaterじゃないんだわ。

ここ水道橋ね?六本木じゃないよ?

 

まじでなにやってんだか。

そりゃ円盤アリツアと抱き合わせされますよ。

現場ですらインパパワーで埋まったのに。

その節はお世話になりました。

 

なんでこういうことになったのかなんですけど、これってセクゾ側の問題ももちろんですがファンの側の問題もあると思うんです。

ドームってファンサをもらう場所じゃなくて、こんな広いところでライブしてる自担自軍を自慢する場だと思うんですね。

でもオタクはファンサ‼️って思ってて、その考えがメンバー側にじゃあファンサしようって思わせるのかなと。

ファンサとパフォーマンスって両立が難しいと思ってて、どっちかをとるしかないじゃないですか。

どうしてもファンサって楽しめる人が限られてくる上にドームの広さだと時間もかかるし、そうすると暇な人=ファンサもらえない人も増えてきて、満足度が下がるんじゃないかなと。

だから、ファンの側の意識改革的なのも必要だと思います。

 

メンバーの側の問題なんですけど、まずパフォーマンスのクオリティとパフォーマンスを届ける力が低いからそこをどうにかするのが出発点だと思います。

パフォーマンスができないからできる演出や使える曲も限られて、じゃあどうやって時間を埋めるかっていうとファンサに頼るしかなくて、ファンはファンサしてくれるからファンサ第一になって、ライブにクオリティを求めなくなる。

アリーナだけならいいんですけど、ドームはお客さん、つまりジャニオタもくるので。

ジャニオタの求めてるものはクオリティだってことを理解する必要があるのかなと思います。

 

あと、優しすぎる。メンバーが。

もっとオタクにはっきり言っていいし、オタクのこと切り捨てていいと思う。

切り捨ててって言い方はあれだけど、自分達についてこれるやつだけついてこいでいい。

セクゾってデビューして10年超えてて、そういうグループって自分達ってブランドに磨きをかける時期に入ってるんですよ。

セクゾのやりたい方向ってめっちゃはっきりしてて、キラキラアイドルソングとは180°真逆じゃないですか。

だから、キラキラを求めてるやつは客じゃねーから‼️ぐらいのスタンスでいていいと思う、それがセクゾの思う自分達のブランドを築くために必要なら。

 

これ以上書くとドーム論とはかけ離れたところになるので、ファンの意識みたいなところはまた別に書こうかなーと思います。

 

てか書くの疲れたわ。

とりあえず今日はこのへんで!

 

最後にまとめなんですけど、個人的にドームって他グル担からの評価の場でありファンとメンバーの気持ちのやりとりの場だと思ってて、それ踏まえるとセクゾのドームまじクソだったし今年もあれならまじでセクゾ一生エナメルになれないからパフォーマンスどうにかしろ意思表示はっきりしろオタクはファンサを求めにドームにくるなってことです!なが!

 

ちなみに、タイトルはKAT-TUNデビュー魂のタイトルからいただきました!

デビュー曲冠してデビューライブ!すごすぎ!

そりゃふまけんも憧れるわ!

 

ということで、本日も長文乱文にお付き合いいただきありがとうございました❣️

体調にはお気をつけて❣️

*1:KAT-TUN「NEIRO」より

幸せがよく似合うひと

 

2023522日を前に、私の今考えていることをまとめようと思って、これを書いています。

別に誰かに届けたいとか、読んでほしいとか、そういうことは思っていません。

ただの私の取り留めのない、辻褄すら合っていない覚書のようなものです。

それでもよければお付き合いください。

 

 

 

 

 

じぐへ

 

神宮寺勇太さん。

あなたはいつからか「ジン」と呼ばれるようになりました。

最初にそう呼んだのはいったい誰なのでしょうか。

機会があれば教えてほしいけど、やっぱり教えてほしくないです。

 

それは、私の中には別の「ジン」がいるからです。

その人は、輝くばかりの才能にあふれた人です。

なにをやらせても100点、いやそれ以上の点数を叩き出す、まごうことない天才です。

なのに、どこかおバカで、抜けていて、でも不思議とカリスマで、みんなに愛される人です。

胸を張ってこの人が自軍の最強だと、今でもそう言える人です。

 

ですが、彼がいなくなったのは突然のことでした。

海の向こうのエージェントが、彼にアメリカでライブをしないかと誘いました。

彼は悩みましたが、当時の社長とメンバーに背中を押され、メンバーがワールドビッグツアーを挙行する中、ひとりアメリカへ旅立ちました。

日本に残ったメンバーが迎えたツアー初日、会場には社長がいました。

そして、ライブを見た彼は、「ジン」をグループから外すことを決め、アメリカでの音楽活動に専念させることにしました。

 

私は、彼らが5人になった後からのファンです。

だから、6人の彼らのことは、過去に発売されたものの中でしか見ることができませんでした。

過去にやったライブ、過去に放送されたテレビ番組、過去に発売された雑誌。

どれをとっても、彼は正直に自分自身について語っているように見えたし、そのパフォーマンスに嘘はないように思えました。

 

アメリカで成功したい、でもグループのことも大切に思っている。

 

メンバーは、スタッフは、ファンは、この相反する思いについて、どのように感じたのでしょう。

私は、この一連の事実を、このすべてが終わってから知ることになったので、これらについて語ることはできません。

 

ですが、今回は違いました。

 

彼らの相反する思いが理解されることはなかったのでしょう。

なぜ彼らは辞めるのか、その理由を尋ねてきた人たちに対して、そう語ることができてしまいました。

 

話は変わりますが、私は、アイドルとは「アイドル」という人種のことを指すと思っています。

 

大勢の人から愛とお金をもらって、その対価として自分を見せる、そんな人種です。

プライベートは、「自分」がより魅力的になるように切り取らなければいけないし、恋愛や火遊びは御法度、結婚なんてもっての外。

演技仕事や音楽活動で数字を出さなければ外野から貶され、ライブではどんなことがあってもどんなうちわを見ても笑顔でパフォーマンスをしなければならない。

 

その道には、プロがいます。

例えば、歌のプロなら歌手だし、ダンスのプロならダンサーだし、演技のプロなら俳優です。

ではアイドルとは、何のプロなのでしょうか。

私は、疑似恋愛の相手のプロだと思っています。

ジャニーズとは、直接会えない代わりに安いホスト。

私は、ジャニーズアイドルのことをよくこう表現します。

 

ホストの客である私には、あなたのような人種の大変さ、やりがい、魅力を理解することは一生かかってもできないことなのだと思います。

それは、私が「アイドル」という人種ではないから。

でも、それはあなたも同じことで、あなたに「ファン」「オタク」という人種のことを理解することはできないと思います。

それは、あなたが「ファン」「オタク」という人種ではないから。

 

私たちは、互いに互いを理解することはできません。

ああなんじゃないか、こうなんじゃないか。

そう推測することしかできません。

なぜなら、与える側と与えられる側、与えられる側と与える側では見える景色が違うから。

ライブ会場に行くと、まず私たちが目にするのは大掛かりなセットと巨大なスクリーンです。

ですが、あなたたちが最初に目にするものは、ペンライトとうちわで埋まった満員の会場です。

 

よく、「アイドルも人だから」と理由づけされます。

アイドルも人だから恋愛していい、結婚していい。

一見優しそうでアイドル思いで、優等生でお手本のようなファンに見えますが、私からすると「していい」とは随分と上から目線な表現に感じます。

アイドルも人間なら、なぜ恋愛すること、結婚することに対してファンから許可を得なければならないのでしょう。

逆に、ここで「すべき」と言えないのが、私たちファンの性なのかもしれません。

 

逆に、あなたたちアイドルは、私たちファンに、あなたたちではない他の人と恋愛してほしいと思いますか。

結婚してほしいと思いますか。

ここで、私たちファンと同じように、あなたたちアイドルも「すべき」とまでは言えないのですか。

もしそうなのだとしたら、ここで一個アイドルとファンとの間に共通点が見つかったことになります。

 

ここまでいろいろと述べましたが、結局ファンにはアイドルのことはわからないし、アイドルにもファンのことはわからないのだと思います。

 

ですが、私があなたたちについて知っていることがひとつだけあります。

それは、あなたたちが本当のことを言うことがないということです。

ですが、あなたたちが本当のことを言わないように、ファンも本当のことを表立って言うことはありません。

お互いがお互いを思って嘘をついて、それでうまく回っている。

私は、それならそれでいいと言える人間でありたかったです。

 

私は、あれからずっと考えていました。

なぜあなたが辞めようと思ったのか。

結局、答えが出ることはなく、先ほどのように取ってつけた、誰にでもわかるようなことを答えとするしかありませんでした。

 

私の知っているじぐは、ずっと明るくて、笑顔で、優しくて、ファン思いで、メンバー思いでした。

 

私は、あなたがKing & Princeとしてデビューしたことに対して、嬉しさと共に驚きがありました。

天才たちの中で、あなたにはデビューに値する才能がないように思えたからです。

私は、キンプリのことを天才の集団だと捉えています。

ダンスの天才がいれば、演技の天才も、歌の天才も、努力の天才も、キャラクター性の天才もいます。

 

私の忘れられない「ジン」は、歌の天才でした。

彼の属した集団もまた天才の集団でした。

演技の天才、歌の天才、ダンスの天才、ラップの天才、キャラクター性の天才、努力の天才。

天才同士が互いを刺激し合い、彼らはいつのまにか天下を取ることができました。

ですが、天才だからこそわかり合えない部分、ぶつかり合うことも多かったようです。

 

そんな彼らにとてもよく似ているあなたたちは、彼らとは違って、きちんと(という言い方はあれですが)仲がいいように見えました。

もちろん彼らが実際にはとても仲の良い集団ということは知っていますが、それはそうとしてあなたたちはとても仲が良いと感じることが多かった印象があります。

 

それは、あなたの存在が大きかったのでしょう。

あなたは、誰にでも分け隔てなく接することができる人なのではないかと思っています。

天才は、他の天才とぶつかることに忙しいです。

才能のないあなただからこそ、一昔前の就活生が連呼していたような潤滑油になれたのではないでしょうか。

いや、それこそがあなたの才能なのかもしれません。

人と人をつなげることができる、これがあなたに神が与えた才能なのかも。

そう思うに足る出来事が多すぎます。

 

私は、あなたがKing & Princeのメンバーとしてデビューできたことを誇りに思っています。

ですが、このキンプリというグループに課せられた使命は重すぎて、あなたたちのような天才集団にはある種碇のように思えたのかもしれません。

 

私は、ジャニーズ事務所に所属するアイドルグループのオリジナルは、Hey!Say!JUMPが最後だと思っています。

それ以降のグループは、全部それ以前のグループの焼き増しです。

なぜなら、JUMP以降のグループは、「憧れの誰か」がいることが当たり前で、その誰かというモデルロールに沿うことが正解だから。

 

私は、King & Princeというグループの本質は、KAT-TUNと同じだと捉えています。

「敵無し 不可能も無し とばすぜ 燃え上がれ本能」*1

こう歌ったKAT-TUNと、

「未知なる道へと限界突破」*2

こう歌ったあなたたちと、その心意気はとてもよく似ています。

私の視点から見ると、あなたたちがバックについていたSexy Zoneを親として、祖父母から隔世遺伝しているようでした。

だから、KAT-TUNと同じような道を辿ることを知った時、ああ、歴史は繰り返すのだなと、そう思いました。

 

私の個人的な夢、願望は、KAT-TUN6人でアメリカに行くことでした。

その夢が叶うことはありませんでした。

ですが、あなたたちなら、あんなに仲がいいあなたたちならできると思っていました。

私は、あの日、私は自分の夢のやり直しをしていたに過ぎないのだと思いました。

ですが、絶対にわかりあえないと思っていたあなたたちと、一瞬でも同じ夢を共有して同じ夢を見れたこと、それは私にとってはじぐと、あなたの大好きな才能あるメンバーとだからできた、すごく大きな、夢のある、夢のような出来事でした。

 

大好きなじぐ、あなたはずっとこの事務所で生きていってくれると思っていました。

40歳になったら、ファンにパンチパーマ姿を見せてくれると思っていました。

ずっと、この事務所で夢を語ってくれると思っていました。

最後の1人になろうと、King & Princeの名を背負うのは、あなただと思っていました。

 

ですが、結局、どこまでいってもあなたはアイドルで、私はファンでした。

でも、もし来世があるのなら、私はまたアイドルのあなたと、あなたのファンとして巡り会いたいです。

 

私が知る限り、じぐ、あなたは最も人を幸せにすることに長けたアイドルでした。

今まで本当にありがとうございました。

 

 

 

ほしより

 

追記

「幸せがよく似合うひと」、2021年7月発売の「Re:Sense」に収録されているのでご興味のある方はぜひ!

*1:KAT-TUN「Keep the faith」より抜粋

*2:King & Prince「RIND DING DONG」より抜粋