Flashback

離れていてもこの空に願い続けるのは虹が架かる瞬間を君と見たいから

カンタービレ

おはこんばしち!ほしちです。

今日は、私の憧れについてお話しさせてください。

 

私は、ずっとKAT-TUNと、KAT-TUN上田竜也さんが好きです。

 

私が上田くんと初めて出会ったのは、2010年9月ごろ、仁ちゃんが脱退して間もないときです。

嵐が好きな友達に貸してもらったポポロを読んでいた時、ふと目に入ってきた美貌に一目惚れしました。

 

それが、上田竜也さんでした。

 

今でもそのページのことは鮮明に覚えています。

上田担なら絶対一度は見たことがある、そういうレベルに有名なページです。

 

それから、たくさん上田くんと、そしてKAT-TUNのことを知ろうとしました。

ライブDVDを買い、シングルを買い、アルバムを買いました。

いわゆるアイドル誌も買いました。

テレビ欄をチェックして、KAT-TUNとか上田とか、そういう文字が見えれば録画して、何度も何度も繰り返し見ていました。

その中で、上田くんとKAT-TUNのことを知るたび、上田くんとKAT-TUNのことが大好きになりました。

 

私が初めて見たKAT-TUNのライブは、NO MORE PAIИ(以下NMP)でした。

DVD越しに見る彼らは、かっこよくて、眩しくて、でもどこか刹那的で、好きで好きで、仕方がありませんでした。

田舎で走り回っていた私にとって、それはとても衝撃的な瞬間でした。

 

そして惑星魂はじめ、過去のライブDVDを死ぬほど見ていました。

そのうち、なぜ彼らはこんなにもかっこよくて、輝いていて、でもどこか不安定なのだろうと思い始めました。

でも、なにもわかりませんでした。

私は、なにかを察して悟るには、あまりにも子どもすぎました。

 

2011年3月、東日本で大震災が起こりました。

KAT-TUNはデビュー5周年、予定されていた5大ドームもコンビナートコンも、すべて中止となりました。

2012年、CHAINがありました。

私はDVDでしか見ていませんが、KAT-TUNは、変わらず私の愛するKAT-TUNでした。

2013年、聖が解雇されました。

楔が発売されました。

4人のために、と思って買ったそのミニアルバムには、私の大好きな聖は、いませんでした。

 

私は、KAT-TUNと、上田くんと2014年を共に生きようと思うことができませんでした。

2015年も、私はKAT-TUNのそばにいることができませんでした。

2016年、じゅんのがやめました。

そして、迎えたデビュー10周年、KAT-TUNが時計を止めました。

2017年、聖が逮捕されました。

2018年、KAT-TUNは、自ら止めた時計を、また動かし始めました。

2019年、じゅんのが逮捕されました。

2020年、コロナ禍となりました。

2021年、15周年のアニバーサリーイヤーでした。

初めて紅白歌合戦に出場しました。

2022年、Honeyがありました。

2023年、Fantasiaがありました。

彼らの愛する事務所は、形を変えることとなりました。

そして迎えた今、2024年です。

 

この長い長い期間の間、KAT-TUNは変わらずKAT-TUNでした。

上田くんは、変わらずKAT-TUNでいるために、自分を変え続けました。

 

私は、ずっと上田竜也さんのことが好きです。

私は、それを恋だと思っていました。

でも、それは恋ではありませんでした。

上田くんの好きなところ、例えば、外見はもちろん、いつもファンのために他人のためにと考えてくれるところ、自主自立の精神、継続力、自らを律する力、自らの弱さと戦うところ、そして自分の夢を自分の力で叶えるところ。

これらは全部、私が自らの中で育て、自らの強みとしたいところでした。

 

今までのKAT-TUNの歴史の中で、上田くんは何度も姿形、内面ですらも変えてきました。

なぜなのだろう、上田くんは自分のことが嫌いなのかと、そう思うこともありました。

これはあくまで私の考えなのですが、上田くんは自分のことが嫌いなんだと思います。

受験ではなくKAT-TUNをとったあの日から、上田くんは自分のことが嫌いなのでしょう。

 

KAT-TUNは、ブランドです。

天才が6人集まって、その頭文字をとってできたKAT-TUNという名前と、それにふさわしい6人が作り出すブランドであり、ストーリーであり、プライドです。

演技も歌もダンスもラップも、それぞれ事務所の中でもトップクラスの実力を誇る人たちが集まっていました。

隣には、いつも努力を続けている人がいました。

そんな5人に囲まれた何もない彼はどんどん自分のことを嫌いになっていったのだと思います。

 

ジュニア時代から、上田くんはキャラクターだけでなく外見も変え続けました。

時にはファンに不評すぎて、ひとりだけうちわが売れ残るなんてこともありました。

嫌いな唇を、コンシーラーで消していたこともありました。

役のために坊主になったことも、ビジネスヤンキーのための明るい短髪もありました。

これらの変化は、すべて上田くんが自らの弱さと戦い、自らを律し続けた歴史なのだと、今では思います。

天才5人に囲まれ、自分には何もない、そう思っていたであろう彼の、弱くて大嫌いな自分との戦いの歴史です。

 

私は、上田くんのことがわからなかったですし、今でも彼のことはわかりません。

ただ、私が変わらず上田くんのことが好きだということ、そして上田くんがファンのためにと言い続けてくれること、この2つだけは、私が上田くんに出会ったあの日からずっと変わっていないことです。

 

2022年、Honeyが発売されました。

近年のKAT-TUNには珍しく、スタッフさんがプロデュースしたアルバムです。

15周年を迎えた彼らにとって、新しいチャレンジであったことは間違いないでしょう。

個人的にはとても好きなアルバムですし、とても好きなライブツアーでした。

初日、衝動のままにチケットを追加したのは、後にも先にもHoneyだけです。

 

そんなHoneyには、「カンタービレ」という上田くんのソロ曲が収録されています。

15周年から引き続き春ツアーとなったこのライブに合わせて、上田くんが作ってくれた応援歌です。

2006年3月22日、春を迎えようとする時期にデビューした彼らしい、春をテーマにした曲です。

 

私は、この曲をファンに向けて書いてくれたのかと思っていました。

これも事実としてあるのだと思います。

ですが、とある方がおっしゃっていた「これは昔の上田くんに向けて書いた曲でもある」という言葉にはっとしました。

たしかに、この曲は過去の上田竜也に向けて上田くんが書いた曲でもある。

私も、そう思うようになりました。

 

メンバーが辞めることは悪いことではありません。

でも、グループを続けようとすることも、悪いことではありません。

 

様々なことが起きた上田くんとKAT-TUNの22年間は、上田くんが、弱くて大嫌いな上田竜也自身と戦い続けた22年間なのだと思います。

そして、その戦いは今でも続いているし、終わりがないのだと、彼を見ていて感じます。

その道中で、カンタービレという曲を書いてくれたこと。

作詞のクレジットが「上田竜也」であること。

このカンタービレという曲は、泣いているように見えた焦る「君」に、上田くんが精一杯の気持ちを込めて贈った歌なのでしょう。

 

時は流れ、このブログは1月に公開する運びとなりました。

また春がきます。

でも、この春に花咲く必要はないと思うんです。

春はまた何度もくるから

この自然の摂理のもと、また私は上田くんの戦いを、メンバー、スタッフさんに次いで、3番目に見守ることにします。

 

時が変われど場所が変われど、上田竜也上田竜也だし、KAT-TUNKAT-TUNなんです。

 

大好きな私の神様たちと共にまた春を迎えられる幸せを胸に、KAT-TUNの皆様のご健闘をお祈りして、締めとさせていただきます。

 

長文・乱文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

ほし